会 社 案 内




時は、第二次世界大戦中・・・。歳納 正二(深川の創業者)は当時、炊事軍曹(すいじぐんそう)をしておりました。
炊事軍曹とは簡単に言うと兵隊さんの食事係りです。食糧難の時代に大勢の兵隊さんにお腹いっぱい美味しい物を
食べさせたいと思い経験の無い中、限りある食材で考えながら食事を作って喜ばれていたそうです。
昭和20年終戦。正二はあの時、兵隊さんの喜んでくれた事が嬉しくて、炊事軍曹の経験を生かし、
飲食業の道に足を踏み入れようと決意する。
しかし、当時佐伯市には飲食店も無く宮崎県の延岡市まで行き、やっと一軒のそば屋さんにたどり着きました。
そして、そば屋の門を叩き、働かせてもらう事になりました。
一方、ミサヲは宮崎県延岡市の松下病院と、言う病院でで働いておりました。
その松下病院に、そば屋で働いていた正二がよく出前の配達に行き、知り合ったそうです。
偶然にもミサヲも正二と同じ佐伯市出身だったのです。その事で更にお互いの仲が急接近したのです。(仮設?!)
延岡市で何年か過ぎ、そば屋の亭主に認められた正二は佐伯市に戻ってミサヲと一緒にそば屋を始めようと思いました。
そば屋の亭主は正二に暖簾分け(のれんわけ)をしてくれました。そこのそば屋の店名が、そば屋深川だったのです。
正二は佐伯市に戻りミサヲと結婚してそば屋を始めました。店名は東京生そば深川だったそうです。
そば屋を始めた頃も日本はまだ食糧難でお金も無い人が多く居ました。しかしお店はいつもお客さんでいっぱいでした。
それには正二の思いがあり、あの時の兵隊さんが喜んでくれた事に自分が嬉しくなって始めた仕事なんだ!
だから正二はお金の無い人にでもお金は出来てからでいいから食べなさい。と、言って食べさせていたそうです。
正直、儲けなんかはなかったそうです。しかしそんな創業者だったからこそ、今深川がお客様に支えられていると
私は強く思います。商売は確かに儲からなくては成り立ちません。しかし、商売はそれだけでは無いような気がします。
私は深川の創業者である歳納正二を誇りに思います。
ちなみに、正二が働いていた延岡市のそば屋深川は現在、深川荘と言うアパートになっているそうです。
